
「財務省が、電気自動車(EV)の重さに応じて追加で課税する『EV重量税』の導入を検討している」
そんなニュースが流れてきた。
理由として挙げられているのは、ガソリン税などを負担するエンジン車に対し、同じ道路を使うEVには「利用に応じた負担」がなく、不公平だというものだ。
だが、この説明にはどうにも違和感がある。
そもそも自動車重量税には、環境性能に優れた車両への減免措置があり、EVはその対象となってきた。
普及を促すために設計された制度だ。
それにもかかわらず、更新時から「追加で課税する」という発想は、政策の一貫性を欠いているように見える。
さらに言えば、EVは「税を払っていない」わけではない。
電気料金には再エネ賦課金が上乗せされており、充電量に応じて実質的に約10%の負担をしている。
一方、ガソリンはどうか。
価格高騰を理由に多額の補助金が投入され、暫定税率廃止の議論まで進んでいる。
EVは「不公平だから課税」。
ガソリンは「負担が重いから補助」。
この整合性のなさは、いったい何なのだろう。
そもそもガソリン価格が高い最大の理由は、税制以前に、日本のエネルギー構造が海外依存であることだ。
そこを変えないまま、税金を少し増やしたり減らしたりしても、本質的な解決にはならない。
にもかかわらず、「EVは不公平」という言葉だけが一人歩きしている。
では、その「不公平」を訴えているのは、誰なのか。
財務省が検討するEV重量税は、既存の自動車重量税に上乗せする形だという。
だが、その“上乗せする理由”が曖昧だ。
EV普及のために、補助金や税制優遇を投入してきたのは国自身である。
それなのに今度は、
「税金をかけて回収したい」のか、
それとも
「何かやった感のある新制度を作りたかっただけ」なのか。
制度を時代に合わせて変えること自体は否定しない。
しかし、その際に持ち出される「不公平」という言葉は便利すぎる。
誰のための、何と何を比べた不公平なのか。
その説明が、決定的に欠けている。
極端な話、原発を動かしてEVにシフトした方が、
エネルギー安全保障、コスト、産業競争力の面では合理的だ。
個人的に原発再稼働を積極的に支持したいわけではない。
だが現実として、すでに建設され、稼働してもしなくても莫大な安全維持コストがかかる設備が存在する。
なくせない以上、使った方が合理的という側面は否定できない。
世界中で多くの原発が稼働している中、日本だけが止め続けても、地球全体で見れば大きな意味はない。
理想論と現実論を切り分けて考える時期に来ているのではないか。
日本は戦後、自動車産業を中心に大きく稼いできた国だ。
しかし今、中国や新興国が急速に追い上げ、いずれ追い越される局面に入っている。
その中で、自動車産業はまさに大変革期を迎えている。
このタイミングで、EVにネガティブな制度を打ち出す意味は本当にあるのだろうか。
確かに自動車メーカーは海外売上が中心で、短期的には国内市場を切り捨てても成り立つかもしれない。
だがそれは、国内産業のさらなる空洞化を意味する。
世界のトレンド、新興国の選択は明確にEVだ。
日本だけが独自理論で足踏みすれば、また“ガラパゴス化”が進む。
その先にあるのは、競争力を失い、
これまで蓄えた資産を食いつぶすだけの国の姿だ。
経済産業省は補助金と優遇策でEVを後押しする。
一方で財務省は税収確保のためにEV課税を検討する。
意図的かどうかは分からない。
ただ、産業政策と税制の間に、強烈な縦割り構造が透けて見える。
「不公平」という便利な言葉の裏で、
日本全体としてどこへ向かうのかという議論が置き去りにされていないか。
EV重量税の問題は、単なる自動車税制の話ではない。
それは、
エネルギー政策、産業政策、国家戦略をどう描くのか、という問いそのものだ。
「不公平」という言葉はマスコミが面白半分で使っているだけなのかもしれないが、
誰のための制度なのか。そして、日本をどこへ導きたいのか。
そこを語らない限り、
この国の政策は、場当たり的に迷走している様に感じる